2016年12月16日 原発賠償訴訟裁判の傍聴へいってきました
2016.12.16|活動報告昨日は朝から夕方まで原発賠償訴訟の傍聴に行ってきました。3.11後に京都に避難してこられて京都で暮らしている皆さんが原告となり、国と東電を訴えています。昨年知り合って、お友達になった皆さんが原告団にいらしゃるので、peace flagのお仲間と行くようになりました。何度か行きましたがこんなに長いやりとりを見たのは初めてでした。昨日はお友達を含む4名の原告の方が、原告・被告側双方からの尋問に答えられました。3/11直後、お子さんとご両親を車に乗せてとにかく逃げたが逃げた方角が放射能汚染がひどかったというお話、子供達を被ばくから守るため、夫や両親と離れ離れで暮らす決断をしたこと、その別れの日のご家族の様子。大好きな故郷の家を手放す最後の日、長い時間、家の前に佇んでいたご家族の様子。「もしも帰ることができるのなら、普通に一緒にご飯が食べたいです」、という言葉。遠い国の出来事でも、一昔前の話でもありません。今、目の前で続いている事実。私と同世代か、もっと若い人が渦中にいる。これは、今、ここで起きている現実。お話を聞きながら実感がのしかかってきました。涙を流し声を詰まらせて話す原告の皆さん。傍聴席の皆さんも泣きながら聞いています。もう感情の渦がどっと溢れている。けれど裁判は「感情」を排除しながら進みます。「聞かれたことだけに答えてください」という言葉で、「聞いてほしい本当の気持ち」は蓋をされます。そうすることで「法」という神聖なものに則って公正なジャッジがなされる、という仕組みなのでしょう。けれど置き去りにされてしまう「感情」が気になって仕方ありません。深い怒りと悲しみを抱えながら、優しく明るい原告の皆さん。お一人お一人が突然、前触れもなく渡された重い荷物を背負って、終わりの見えない道を、歩いて行くぞ、と覚悟をされている。二度とこんなことが起きてはいけないのだ、という強い気持ちで、今、ここで暮らす私たちみんなのために、未来を生きる子どものために闘う覚悟をされている。一緒に寄り添っていくのに、法律の専門家である必要はないし、運動家である必要はない。原告の皆さんも普通の市民で、普通の父親で、普通の母親だから。普通の主婦で、そのままで寄り添っていこう。買い物の途中で、ランチの前に、映画に行く前に、普段着で応援に行きましょう。そして、裁判所からドーッとはみ出してくる感情を共にして、一緒に泣いたり怒ったりしましょう。その何倍も一緒に笑いましょう。今、この国で一緒に生きているもの同士、しんどいこと以上に、一緒に楽しいことをたくさんしたい。