二度目の上関訪問記
2017.08.16|活動報告2度目の上関。
8月3日からpeaceフラッグプロジェクトの夏の親子旅、大人子供合わせて総勢11名、車を飛ばして一泊二日で上関の自然を守る会の高島みどりさんのところへお邪魔してきました。堺町画廊のノジコさんがご縁を繋いでくださって、昨年の夏もワイワイ親子で訪れ、秋には「酒と肴と経済と」というイベントに、みどりさんと地元の漁師さんが京都に来てくださり、そしてまた巡ってきた夏、今年はまた違うメンバーでお邪魔してきました。
京都から車で6時間、到着してすぐに漁師さんの船に乗せていただき、海へ。快晴の瀬戸内海。原発予定地の海は透明度15メートル。船の上から底の白砂が見えるのです。「わーきれい!」と歓声が上がります。福島第一原発の事故以降止まっていた原発建設の動き、最近になって再調査のためのボウリング工事が再開されました。昨年は警備の人しかいませんでしたが何人かの人が作業している様子を綺麗な海の上から眺め、みんな無言になります。そのすぐ横の、昨年も連れて行っていただいた誰もいない浜辺で今年も海水浴。子供達は大はしゃぎ!大人も負けずに大はしゃぎ。水中眼鏡がなくても海の中の魚達が見えるのです。「きれい!」「こんな海、初めてー!」あちこちで歓声が上がります。昔はどこの浜辺もこんな風だったのだ、という漁師さんの言葉が耳に残ります。
夜は懐かしの「シーパラダイス」で漁師の鉄ちゃんたちの豪快なお魚料理をたらふく。鯛、スズキ、アジ、貝、お刺身、煮付け、炭火焼、塩焼き、炊き込み御飯。たらふく、という言葉はこういうときのための言葉だな、と思いながらたらふくいただきました。翌朝は鉄ちゃんたちが仕掛けていた定置網を引き上げに行くのに同行させてもらえたのです。2箇所の定置網、それぞれに3つづつ、6つの網を引き上げます。漁師さんは5名。快晴の青い海の上でまるで陸のように自在に船を操るのは鉄ちゃん。掛け声とともに引き上げられる網の中には鯵や鯛、烏賊やスズキ、そしてカマス。おこぼれにあずかろうとカモメがたくさん集まってきました。「ああ、予想通りじゃのお」「ああ、もひとつじゃ、まあこんなもんじゃのお」「泣けてきよるのお」、釣果が今ひとつの日だったようで、そんな会話を、それでも笑いながらする漁師さんたち。
初めての私の目にはたくさんの魚たちで、見たこともない両手を広げていっぱいくらいの大きな鯛もかかったのでしたがこれでもまだ全然、だそう。そのまま仲買さんのところまで同行させてもらいます。海から陸に近づくと目の前の青々した山から、うなるような蝉の声。海からだとまるで山が鳴いているよう。もう桟橋で待ち構えている仲買さんたちに手際よく魚を渡して港に戻ります。海の上で魚を採って暮らしている漁師さんの何でもない会話が胸に沈んでいきます。「まあ今日はこんなもんじゃのお」「もひとつじゃのお」、魚がかかるかどうかは自然任せ。天然魚の漁師さんのお仕事は狩猟生活。毎日、海の上で仕事をしている。海と共に暮らしている。港に戻る漁師さんたちの背中を見ながら、「原発賛成、反対、そんなものを超えて」、前夜、ご飯の席で何度となくお聞きしたその言葉の意味を考えたら涙が出てきてだーだーと涙を流して泣きました。なんでこんなに涙が出るのかな、と思いながら港に戻ったら、考える間もなくすぐに魚の処理です。peaceフラッグの子供達も出荷のお手伝い。さっき海から上がったばかりのカマス、箱に並んだらもう商品になっています。鉄ちゃんがスズキと鯛をさばいてくれました。「はい、これ心臓」子供の手に平に小さな小さな心臓を載せてくれます。大きな体の割になんて小さいのだろう、と一同驚きます。子供達の掌の上で小さな心臓はしばらくドクドク脈打っていました。お昼ご飯にそのスズキと鯛のお刺身をいただきました。「これ、あの心臓の鯛やんなあ」、そう言いながらみんなでパクパク。
2日目の昼食後、みどりさんが準備してくださった上関の自然を守る会のDVD「奇跡の海」と、パタゴニアさん制作のDVD「sea of miracles」をみんなで観て、みどりさんのお話を伺いました。「sea of miracles」には上関の対岸にある祝島で30年、原発建設に反対してこられた方々が登場されます。みどりさんもずっと原発建設反対を貫いてらしゃいます。「上関の自然を守る会」代表の高島みどりさんは広島ご出身。「安らかに眠ってください、あやまちは繰り返しませぬから」という原爆死没者慰霊碑の文言を胸に育った、とおっしゃいます。上関原発建設計画が持ち上がり、反対運動のために広島から上関に通ううちに上関の自然に魅せられていったのだそうです。そうして「あんたらはどうぜ反対運動をして建設が止まった後、過疎の村を残して去るのだろう」という地元の方の一言をきっかけに、この地で暮らしていこう、この地の自然を守っていこう、と決意され広島から上関にお引越しをされました。それからずっと上関で暮らしながら、研究者の皆さんとともに「上関の自然を守る会」を発足し、この地で暮らす天然記念物のカンムリウミスズメやスナメリを始め、希少生物の調査・保護活動と原発反対を貫いておられるます。「小さな生き物たちの健気な姿に突き動かされて」、そんなふうにおっしゃいます。突き動かされて、止むに止まれぬ衝動を糧に動く時、人には大きなエネルギーが備わるのだと思います。そのエネルギーがたくさんの人を巻き込んでいくのでしょう。今回、2本のDVDを観た後、みどりさんは「祝島のことを私が語るなんておこがましい、長年すごい闘いをしてこられたのだ、足を向けて寝られない」と祝島の方々への深い深い尊敬の言葉を口にされました。昨年、ほんの少しだけ訪れた祝島。ハートの形だというその島には30年、奇跡の海を守るために原発建設に反対してこられた方々が暮らしてらっしゃいます。みどりさんの暮らす上関漁協は一度原発建設を容認し、以来、美しい海を挟んで「賛成派」「反対派」という深い溝が生まれました。
原発反対を貫きながら上関で暮らすことを選んだみどりさんの覚悟を思います。今、みどりさんは鉄ちゃん始め、上関の漁師の方々と一緒に、とれたての天然魚をパックして顧客に送る「上関おさかな便」を実施し、漁師さんと一緒に海に出て上関の自然をめぐるツアーを企画しておられます。長い時間をかけて根気よく地元になじみ、お互いを深く信頼し合い、「賛成、反対を超えて」、この海を守ろう、原発がなくても暮らしていける町づくりをしようとしておられます。日々の暮らしを笑いながら共にすることでじわじわと変化が起きている。昨日一日、鉄ちゃんに船に乗せていただき、ご飯をいただき、そして港で暮らす野良猫たちにご飯をやり、同行の子供たちはすっかり打ち解けて、この日の朝、起きるなり開口一番「早く鉄ちゃんに会いたいなあ」と言いました。その一言がとても嬉しくて鉄ちゃんにもお伝えしたのでした。
この旅の前に訪れた沖縄の辺野古と高江にも笑って暮らす方々がいるのでした。賛成派でも反対派でもない、普通の人。日々の暮らし。辺野古も高江も祝島も上関も、理不尽な理由で当事者となり、渦中に巻き込まれ、時に普通の日常が送れなくなっても、やっぱりそこに暮らしがある。その暮らしは京都の私の暮らしと全然違う。全然違うけど、でも一緒。だから、私は私の日々の暮らしを大事に守ろう、と思うのです。改めて、断然頑張ろう日々の暮らし、と思うのです。そして、世界中どこも、全然違うけれど実は一緒の日々の暮らしがあるのだと視線を定めたら、「当事者」と「傍観者」の垣根は簡単に越えられるはず。高江のことも辺野古のことも上関のことも、私の問題、と思えるはず。今回、30年の付き合いになる古くからの友人たちも一緒に上関に行くことができて、それがとても嬉しいことでした。身近な人と一緒に毎日の暮らしを大事にしたい、その日々の暮らしの延長線上に全てのことがある。「あの地域は特別」とか「あの人たちは特別」と思わないこと。違うけれど一緒だ、と思うこと。みどりさんには10月にまた京都にお越しいただきます。パタゴニア京都さんとの共同企画でお話をしていただきます。またお知らせをしますので是非、みどりさんに会いにいらしてくださいませ。