peaceなひとびと

フラッグを掲げる人々を訪ね、暮らしぶりを拝見し、お話を伺います。

今回登場していただくのは、発酵冒険家で麹文化研究家のなかじさん。ピースフラッグとは、昨年秋の一大イベント「酒と肴と経済と」(活動報告)

(なかじさんのブログより感想)にゲストとして2日間にわたりご参加頂いて以来のお付き合いで、夏のナイトマーケットにご出店して下さったり、何人かのスタッフでなかじさんの麹合宿に参加させていただいたりと、嬉しいご縁が続いている。お話をお聴きするたびに印象的なのは、すごく力が抜けていて落ち着いた佇まい。言葉を重ねて重ねて、あたかも酵母菌が菌糸を伸ばすように続いていく話しぶり。同じ空間にいるとなぜかこちらまで肩の力が抜けてくる、若いけれど全然若くないような、不思議な雰囲気。いったいこれまでどんな道を辿ってこられたのだろう。いつも俯瞰で見ているような、ずっと遠くまで見渡しているような、独特な感じも気になっていた。お話会のため来京中だったなかじ(以下 な)さんに、まずはそのことからお聞きしてみた。

text: peace flag プロジェクト 原田   /    聞き手: peace flag プロジェクト 原田、井崎(以下 原/井)

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な:僕は俯瞰の目で見ているという実感はないんですよ。僕の視点はいつも発酵なんです。3人でこうやってお話している、一緒にお茶を飲んでいる、この空間を発酵していくというか。それを発酵するような方向に動くよう、環境を整えていくという感覚で仕事やナビゲーターやお話会をしています。僕の表現は、まずは僕が中心で、どうやったら自分が気持ちよくなっていって、目の前の人も気持ちよくなっていって、この場にいることでいい人生の体験になったなーというのをどう感じていけるか。これは相互作用でお互いに作り上げていくものなんですが、作り上げていく中で相手に欲求はできないので、僕ができる範囲で環境設定をしていくイメージです。麹を作るときに湿度や温度を調整するのと同じ感覚で仕事をしています。

 

原:そういうことをいつ頃から意識されてきたのですか?

 

な:僕が寺田本家の前にいたのは伝統芸能の世界なんです。その中でどうやったら声が出るか、踊りが踊れるか、太鼓をたたけるか、それは神様に見せるものだけど舞台上のパフォーマンスなので、そのパフォーマンスにおいてどうしたら自分の身体能力を存分に発揮できるか、という練習をしていくんですね。その時に学んだのが ゆるむことや、力を抜いていくこと、自然体になっていくこと、お客さんと同調していくこと、同調してひっぱる、ということなんです。その考え方が寺田本家に入って発酵を学ぶと、発酵と同じだったんです。伝統芸能の考え方に共通項があったんですね。温めたり、ゆるませることだったり、流れをよくすることだったり、いくつかあるんですけど、それを無意識に対人とかコミュニケーションの中で使っているんです。

 

原:人を発酵させるとは、もう少し違う言葉で言うと?

 

な:その人が人生でやりたいことをちゃんとやっていて、やりたくないことをちゃんとやっていない。各自がそれを実現しながら周りには強要しないし、でも皆でやりたいことがあったら皆でやる。そういう個人が集まることによって、集団でも皆が楽しくなる。そういうのを世の中として作っていきたいなと思っています。

発酵という言葉の代わりに、ちょっと前だったら、「幸せ」とか、「成功」「勝ち組」「自己実現」、いろんなキーワードがありますよね。こうなったら幸せなんだろうな、と子どもの時に思ったような。でもそういうキーワードで問題や人生を探っていくと、あるいはそのような言葉に断定すると、その言葉に付随するいろんな価値観まで自分の中に取りこんでしまう。会社を成功させようと思うと自分を頑張らせちゃったり、精神的に悟りを得ようとすると精神的高みに登るための社会的価値観を引きずっちゃったり、自分を押し殺したり、人に尽くそうとすることでつい演じてしまったりする。なので、今までにある価値観の言葉の中に僕がこれから生きていきたいと思うような言葉がなかった。けれど「発酵」はぴたっときた。あ、発酵して生きよう、と。

 

原:それは何歳くらいの時?

 

な:寺田啓佐に出会ってからですね。28.29歳くらい。発酵という言葉の中に、今までちょっと違うな、と思っていたものが全部含まれていた。健康も発酵で説明できるし、精神的な幸せや精神的に高めていくことも、経済的に仕事をやるということも、家族関係も、世の中、国の在り方も発酵で説明できる。国を平和にしようとか、精神的にも物理的にも何かを追求するときに今ある言葉を使っちゃうと、それに付随する何かに僕の中で違和感があったのですが、それに代わる新しい価値観、生きる指標として発酵がぴたっとはまった。力みがないんですよ。発酵するように楽しもう、とか仕事を発酵させようとか、家族関係、夫婦関係、子供との関係を発酵させる、このプロジェクトを発酵させよう、と考えるとなんだか素直になれる感覚なんですね。

 

原:力みがなくなる。だから、なかじさんはそんな風に力の抜けた感じがするのでしょうか?

 

な:うん、だから頭の中で使う言葉がすごく大事ですね。何かを成長させるぞ成功させるぞと思うと、その方向性がたとえ善の方向でも女性性の方向でも、そういう言葉を使うだけで力みが生まれるという感覚がある。

 

井:すごくよくわかる・・・楽しくないとしょうもないな、という感じでピースフラッグをやっています。

 

原:話が少し戻りますが、私は人前だとすぐ緊張するのですが、なかじさんの場合は対人というより場を発酵させようとか、その空間ごと見ているということですね。

 

な:まず中心は自分の体なんですけど、でも50:50で。内側の自分の在り方、リラックスするとか緩んでいることも50%いるけれど、外側、周囲の状況も50%いるんです。周りがツンケンしていたり、自分に悪意を持っていたら、自分は気持ちよくならない。だから両方とも大事。僕の内側は自分の責任で調整する。自分を調整した後に、僕が話す場では僕がある程度調整できる部分、例えば空気感とか雰囲気、話すテンポやリズム、熱感とか。その調整できる入り口を責任を持って発酵させる方向に持っていく。だから空間も大事なので、僕は半分半分でやっている。内側の環境と外側の環境を自分が気持ちいいように整えていく。これも2つあるんですけどね。「整える」っていう方向と「逃げちゃう」っていう方向と(笑)

 

原:あ、ちょっとこれは、と思ったら逃げちゃう?

 

な:そう。だから例えば原発とかもそうですね。この環境を自分で整えようと思ってもちょっと今は大きすぎて無理、と思ったら逃げる、移動する。戦争もそう。これは自分で外側の調整は出来ないと思ったら、いったんその場から離れる、逃れる。夫婦関係もケンカもそうだと思うけど。コントロールできるものとできないものってあるじゃないですか。台風とか津波とか、いくら自分が幸せでも、津波が来て逃げなかったら死んじゃう。でもちゃんと自分の感性を緩ませて、研ぎ澄ませた状態でいないと、そもそも外側の環境の状況を捉えられない。例えば森の中で鳥が鳴いていない、虫の声が止んだな、空が曇ってきたな、雨が降りそうだな・・・そういう環境の変化を捉えるセンサーを内側に作っておいて、外側の環境が変わったら環境を整備する。か、整備できなければいったん離れるか。

 

原:じゃあ、あまり悲観的にならないで、自分がどうにかできるかできないか、という捉え方ですか?

 

な:うん、そうですね。できることは、やる。できることはやらないと現実化しないので。本を書くとか、身近なところでいえば料理するとか。オムライス食べたいなと思ったら、自分で作るか店に電話して注文するか、お店に行くか、現実的な行動をしないとオムライスは出てこないですよね。

 

井:すごく核心的な話ですね、逃げる。

 

な:自然はコントロールできないから。畑ならある程度、いつ種を撒くとか雑草を抜くとかできるけど、雨や地震はコントロールできないので、それはもう受けとめるか逃げるしかない。でもそれには、自分を常にリラックスさせて、いつでも感覚的にしておかないとそもそもの環境の変化を捉えられなくなるので、緩めることが大事になってくる。

 

井:なかじさんがされていることは、周りをすごく平和な感じにしていっているというのがあって、いつも感じるのは命の面白さとか大切さとか。そういうのを伝えていこう、という思いが感じられるのですが、先ほどの「逃げる」でいうと、例えば最近だと北朝鮮がミサイルを撃つかもということで、その対応を書いたプリントが小学校や幼稚園で子どもたちに配られてしまって。そんな風に少しずつ自分たちの都合のいいようにコントロールしてくる人たちがいた時に、何か意思表示はされていますか? 選挙に行ったり、もう一歩踏み込んでデモに行ったりとか。

 

な:選挙は行きますね。でも、政党とか公約とか情報はいったんなしにして、人間の雰囲気や感覚の好き嫌いで捉えるようにしている。写真の雰囲気とか候補者の動いている様子とか。すごくピースフルな政党だとしても、情報は意図を持って発信されるので、いいものも悪いものも多かれ少なかれ操作されている。情報だけで選ぶと間違えた時に人のせいにするんです。感覚だけで選ぶと選んだ自分が悪いので、勘が鈍かったのかな、と思える。

 

敦:面白い。

 

な:選挙に行くのは行くけれど、私はこういう人間です、と説明する候補者っていないし、ホームページにもそんなに載っていない。こういうことをやりますと箇条書きに書いてあるだけで人間性はわからないので、結婚や男女関係と同じで直感で決めるしかない。

 

敦:人間性が大事なのにねぇ。

 

な:だから主義主張関係なく、感覚で投票するようにしています。どこまでその人を知れるかはその時々の縁で、実物、テレビ、ホームページ、ツイッター、写真、色々ですが、人相や顔色、笑顔とかパッと見た感じの印象で選ぶ。やっぱり面白い人、いい人って光っているんですよ。エネルギーのある人。循環が良くて嘘をついていない人は光っていて軽い感じ。自然栽培的な感じですね、あっさりして、さらっとして水みたいな感じ。

 

原:そういうのも腸で捉えている感じなんですね。

 

な:そうそう、そういうのも自分の感覚を緩めておくことで初めて分かります。ぎゅっとなっていると分からないから、情報に頼るしかなくてずーっと探し続けないといけない。でも情報は無限なので、期限のある中では全部分からないんですよね。だから感覚でしかない。

 

井:ピースフラッグも、感覚で、これなら一緒に出来るかも、これなら楽しそうかも、という人が増えて、それがある程度意思表示に繋がるといいなぁと思ってやっているのですが、女の人が中心になってやっているから、そういうところが感覚なのかもねぇ。

 

な:男性はどうしても情報でやっちゃうから。

 

井:なまぬるいとか言われちゃうんですけどね。遊びでやってるんか?とか。遊びでいいじゃん、みたいな感じなんやけど。

 

な:遊びじゃないからみんな真剣になって、おっきいケンカして、戦争になっちゃう。遊びでいいじゃん、ってすごく大事ですよね(笑)

 

原:生ぬるいと言われるくらいでちょうどいい場合もあるんですかねぇ。

 

井:なかじさんとご一緒していていつも思うのは、お話を聴きたいと色んな人が集まって来られると思いますが、なかじさんは人をジャッジしないなぁと。目の前にいる人をあまりジャッジされないですよね

 

な:ジャッジしない、と意識しているわけではなくて、それも発酵的な感覚でみています。

 

原:相手に発酵してもらおう、と?

 

な:いや、発酵してもらおうとは思わない。究極的には自分の発酵のことなので。お話会にも色んな人が来るから、いいなと思ってくれる人もいれば、全然そんなの違うと思う人もいるわけですよ。でもその人がそういう意思表示をしてきても、へぇーと流します。自分の楽しさを中心にして、僕はこれが好きなんです、発酵って面白いよ、美味しく食べて元気になって健康にもなれて、いいじゃん、と。それに対していいね、それどうやるのと聞かれたら答えるけれど、自分から相手のところに入って行って発酵っていいんですよ、ぜひ取り入れてください、ということはしないです。それはエネルギーを余分に使うことになるから。入らないで、私を変えないで、と心を閉める人と無理やり開けようとする人と。それより自分が楽しいなということをちゃんとやっていて、それ何?と聞いてきた時に、はいよはいよ、と渡す方がお互い楽チン。

 

原:じゃあ人に対して苦手意識とかはあまり持たない?

 

な:苦手な人が少なくなったのは確か。昔、力んでいた時とか、自分の主義主張があるときは、それに反対する人もたくさん出てくる。それをなくして緩めることを意識したり、発酵を学んでそれを中心にするようになると、そういう人があんまり目の前に現れなくなった。自分の現実から減ったのがすごく不思議だなぁと思いますね。僕のお話会にそういう人来ないですもん、自分はこう思うんだけど!みたいな人(笑)

 

原:なんでなんですかねぇ。

 

な:僕が主義主張を言わなくなったから。自分はこれが楽しい、しか言っていないから。これ正しい、間違っている、を出す欲求があんまりないので。自己承認や人から見られたいという欲求を捨てちゃうと、自分が楽しければ別に、周りに人がいなくてもいいや、という世界なので。そういうスタンスで楽しいことをやっていると、それなぁに?と興味のある人が集まって来てくれる。

 

井:以前にもなかじさんのお話で、ひとりぼっちでも生きているだけでもすごく地球に貢献している、食べてうんちするだけでも、生きているだけで大貢献。ひとりぼっちであろうが何であろうがいいんだよ、という話をされていて。独りぼっちで何がだめなの?と思うと救いになりますね。

 

な:独りぼっちで楽しい人が集まるから、もっと楽しくなるんですよ。

 

敦:だから生きているだけでいいんだよ、死んだらまた大貢献、最終的に人生何もできなくても死んで土に還るっていう貢献ができるよ、って言ってはるように聞こえて。

 

な:いいですね、死ぬだけで大貢献。

 

井:そういうなかじさんのお話を聞くと場が和むし、どんどん場が緩んでいく。なかじさんは平和な場作りをすごくしてはるなぁと思います。

 

な:それは僕が一番緩みたいからなんですよ。究極的に自分のためを深めていくと、世の中のためになる。どう生きたいかという選択の問題。一人で動ける人が集まっていることに本当に意味がある。みんなの意見が合って活動量が大きくなるなら、みんなでやったらいいし、それで一人のやりたいことが出来なくなるなら、自分でやりたいことやるわ、でもいいと思う。流動的な感覚です。

 

原:最後に、ご自分のお子さんたちには普段どのように接していますか?

 

な:子どもがリラックスできるということとか、子どもに対してもやっぱり、自分が中心で、自分がどうやったらリラックスできるのか気持ちよくいれるのか、を中心にして接しています。怒りが湧いたらちゃんと出します。うるさーいとか(笑)

 

原:なかじさんも怒ったりするのですね。私の場合、例えば子どもにとってこれが良いとかこれは良くない、というような情報を知ったりすると、つい子どもに色々言いたくなって、うるさく思われたりしてしまいます。また、食べものや世の中のこと、知れば知るほど子どもたちの未来を不安に思う時があります。

 

な:情報と現実を分けるのは大事かと思う。ごっちゃになると、それに対して不安になったり反対するとかエネルギーをつぎ込むだけで、自分の人生を生きれないまま人生が終わってしまう。システムが悪いとか、そこにエネルギーは使わない。反対運動するだけでおわっちゃうから。情報に対してはいつもニュートラルでいないと自分まで操作される。情報も縁なんですよ。人の縁と一緒。目の前の人がこれ面白いですよ、と持ってきたら素直に聞く。受け入れる。スマホも地震とか放射能とか世界の情報を得るには便利な道具。できる範囲でちゃんと情報は把握して、どんな情報も遮断はしないようにして、その上で体の欲求を出す。自分が本当はどうしたいかは(頭でなく)腸で決める。翻弄されずに情報をとるために、翻弄されない自分でいるために、そのためにカラダをいつも緩ませて、温めて、自分にちゃんと優しくしておくといいです。自分が気持ちよく生きるために。

 
 
なかじさんが今のなかじさんに至るまでのことを知りたい、との思いだけで、どんな風に終着するのかもわからないままさせて頂いたこのインタビュー、思っていた以上に色々なお話をお聞きすることができました。

発酵ということ、逃げること、情報との付き合い方、生身の情報と直感。情報に溢れる今、以前のように実際に足を運ぶことなくとも、調べたい事を調べ、見たい景色を見ることができます。週末ごとのイベントの情報、子育ての知識、携帯を見れば勝手に表示されるニュースや広告、私たちには意識的に知ろうとする以上の情報が入ってくるのです。それは子供も同様です。一方で、本当のことはどこにあるのでしょう?知らないまま日々が過ぎ、いつの間にか大切なことが変わってしまうような不安な気持ちも付きまといます。そんな中、なかじさんのお話を聞くと、少しほっとする気持ちになれるのはなぜでしょうか?

不安を打ち消すためにあらゆることを知っておかないといけない、とまた不安に駆られるような気持ちから、まず大事なのは自分。体を緩めて温めて、自分が気持ち良く入れるよう内側と外側を整える。そうして翻弄されることなく直感を磨いて、できることをやる。そういう個人が集まって、皆が楽しくなるような世の中を作っていきたい、そんな希望を感じることができるからかもしれません。

なぜなかじさんのいる場はピースなのか、それも少しわかったような気がしました。
 
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