peaceなひとびと

フラッグを掲げる人々を訪ね、暮らしぶりを拝見し、お話を伺います。

サエさんは小笠原諸島の父島に暮らし、父島で唯一の専業農家で働いています。お家の前に掲げたピースフラッグの写真を毎年アップしてくださっています。小笠原は太陽光が強いので色あせして、毎年新しいフラッグに取り替えているそうです。小笠原諸島は東京都、でも東京から1000キロも南の海洋島です。世界自然遺産の島でもあります。飛行場はなく東京から船で24時間の旅です。

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サエさんの働く森本智道農園は、少量多品目の農産物と4種類の鳥(ニワトリ、ガチョウ、合鴨、七面鳥)を飼い、減農薬・有機栽培で島で循環する農業をしています。基幹作物は、はちみつ、セロリ、トマト、マンゴー。小笠原では戦前からセロリ、トマト(桃太郎)の栽培をしてきたそうですが農家が高齢化していくにもかかわらず跡継ぎをしなかったことで、現在では森本智道農園でしか栽培していません。島の魚のアラ等を使った自家製堆肥で育ったセロリは本州のセロリと違い、重さ2キロ近くまで太り、瑞々しく薬臭くもないので、セロリ嫌いの人も食べられます。半年かけて育て、1月中旬から2月にかけて収穫して島外へ出荷します。島内産の野菜は冬から春が農繁期、1年間で30種類の野菜を栽培しています。

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関東育ちのサエさんが小笠原に住むことになったきっかけは、16年前に旅で小笠原へ行ったこと。 初めて住みたい場所と出会ったと思い、その1年後、宿のヘルパーとして島に自分が住めるかどうか体験しに行きます。その間、それもたった1回だけ森本智道農園で鶏を潰す体験をしたことから、携帯への依存や情報や物にとらわれている都会の生活に気づかされ、シンプルな生活をしたくなります。 なにか必要だったら、買うばかりじゃなく頭を使って作ればいいんだと。でも、狭い島の世界で生活する自信がなく、島を出て、沖縄本島へ移住。 4年3ヶ月の間、様々な仕事をして暮らします。そしてよく行く那覇の自然食品屋さんにあったチラシで高江のことを知りました。ちょうどヘリパッド建設が始まった頃です。戦争や基地に反対だったけれど行動していないことに気づき、一人高江へ通い、工事を止めるための座り込みにも参加しました。いろいろな人たちが様々な理由で来ていたけど、みんな自分の意思で来ていた。誰かが言った「ゴツゴツしていていいんだ」という言葉が心に残っているそうです。

ここで同じ方向を向いている人、繋がれる人たちの探し方というか勘をつかんだサエさん、自然農で生活している森岡農園の森岡尚子さんにも出会い、農業のイメージが大きく変わります。「やりたいことをもうやっている人がいる!」農薬、肥料を入れて雑草抜いて、お金もかかるし大変だなという印象から、草取らなくていいんだ、肥料もいらないんだって気づいた。また山甌というカフェをやっていた安次嶺現達さんが、高江より北の楚洲という所で始める民宿の改修を手伝ったりしました。あるとき、農家で住み込みボランティアが出来るwwoof(ウーフ)という制度を使い上映会をしながら旅をしている人に出会い、「それはいい方法だ!」と沖縄を出ることにします。「UAやんばるライブ」の上映会をしながら旅をしていた時、京都で「かぜのね」と「堺町画廊」でも上映会をしてもらいました。映画の後、ウクレレをつま弾き歌って下さり、高江のお話も聴きました。映画だけでなく、現場にいた人の実感は説得力があり、高江に住む人々の暖かさ、やさしさ、魅力も伝わりました。

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和歌山の米市農園など4カ所、自然農の農家さんに滞在した後、2009年12月再び小笠原へ。 母島・父島で宿のヘルパーしながら農家を手伝ってみた結果、自分のやりたい方向で農業をしていた森本智道農園で研修生を経て働くことになりました。サエさんは、沖縄での4年間がなければ今の生活は成り立たなかったと言います。

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父島での生活は、午前中は農園の仕事をして、午後は自分の畑をやったり、出荷に行ったり、買い物したり。島には映画館がなく、映画に関して人と一緒に時間を共有するということがないので「島de Cinema」という上映会を月に一回、3年間していました。内容はサエさんの「趣味に付き合ってもらう会」だったそうで、マイナーなものが多かったとか。なにもないところから基地の話や社会的な話をするのに、映画はいい手法だとの思いもあっての上映会でした。

ピースフラッグとの出会いはフランク菜ッパさんのところ。それまでにも何ヶ所かでフラッグを見ていて気になったので「これはなんですか?」と聞いたところ、「スコップアンドホーに売ってるで~」と言われ、立ち寄ってみたら、ちょうどフラッグを作っていた事務局のメンバーと会えたそう。安保法案に反対だけど、デモ等でこぶしを挙げて反対するのではなく、この旗を揚げることで「戦争は反対。平和でありたい」という意思表示をする、というお話を聞いて、それは良い方法だ!と思ったそうです。サエさん自身も、高江や辺野古の座り込みや防衛局とのやりとりや他の地域での反対行動の動画等を見て、一時はテレビ局や相手先に電話をしたこともあった。けれどエネルギーの消耗が激しいのと、そういう行動が続かないこと、結局「怒り」に対して「怒り」をぶつけているのでこれでは変わらない、と別の方法を探していたときで「これなら私でも出来るし、誰でも入りやすい」と思い、フラッグを買って帰ってくれたそうです。父島でも、本州の他の地域で掲げている友達から教えてもらって旗を掲げている友人が、知ってるだけでも4人いるそうです。

小笠原にも一昨年の10月、ちょうど京都ファーマーズマーケットと同じぐらいにスタートしたファーマーズマーケットがあって、そこでピースフラッグを販売している方もおられるそうです。森本智道農園の隣にあるコーヒー屋さんで開かれています。島は時期によっては野菜がほとんどない時もあり、島の農家も少ないので、島外で頑張っている人も紹介したいと、京都の楽天堂の豆料理キットなども取り寄せて販売しています。

今回、小笠原父島の「森本智道農園の島セロリ」が京都ファーマーズマーケットにやって来ることで、小笠原と京都のファーマーズマーケットが繋がりました。これもフラッグのつなぐご縁ですね。

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interview&text:peace flagプロジェクト 伏原 納知子

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森本智道農園 基本情報

父島の島民だった故・森本智道氏の農園に、島で農業を希望して移住した現社長・森本かおりが22年前に引き継ぎ、現在に至る。
島で利用されない物、廃棄される物を利用しながら、環境に負荷をかけない、循環型農業を行い、上記の4種類の鳥類を飼育しながら、基幹作物他、年間30種類の島内向け野菜を栽培している。
また、島内に住む島民、または興味を持った観光客のボランティアを受け入れており、「農業」や「野菜」について体感する人が増えている。